「頑張る」ってなんですか?
頑張るとはどういうことか。
最近、自分では頑張ってるつもりはないけれど、「頑張ってるね」と言われることが増えた。
すごく違和感がある。
「頑張る」ってすごく便利な言葉で良く使う言葉だと思う。
実際僕も便利だから「頑張ってね」とか「頑張ります」とかいうけど、なにか腑に落ちない。
頑張るってどういうことなのか。
世の中で活躍してる人はみんな頑張っているのだろうか。
僕は「頑張る」とは「嫌なこと、やりたくないことを行う」ことだと思っている。
僕は極力やりたくないことはやらず、やりたいことだけに時間を使っている。
使えている。ありがたいことに。
だから、1つのことに多くの時間を費やしていても、特に頑張っているとは思わない。
今は大学の講義を受けながらブログを書いている。
授業にでることは単位のために「頑張って」いるかもしれないけど、
このブログを書いているのは、ただやりたいからやっているだけで、「頑張っている」わけじゃない。
世界で活躍している人も、(基本的には)別に頑張っているわけじゃなく、好きなことをしているだけなんじゃないかなと思う。
サッカーの日本代表を例にとっても、サッカーが好きで上手くなりたいから必死に練習するだけで、本人たちに「頑張っている」という自覚はない気がする。
ついでに書くと、
頑張ってるねって人から言われても素直に喜べない僕だけど、1度だけすごく嬉しかった時のことを思い出した。
それは、嫌なこと、つらいことが重なってすべてを投げ出したくなったことがあった。
それを誰かに話してもいなかったし、気づいた人もほとんどいなかったと思う。
だけど一人の友達から「最近頑張ってるね」といきなり連絡がきた。
なぜその友達が気づいてくれたのか分からないけど、嬉しかったし、その人のことを尊敬した。
なんだかうまいまとめ方が分からないけど、適切に「頑張ってるね」を使えるようになりたいなあ。
嫌われる勇気
読みました。嫌われる勇気。
めちゃくちゃおすすめです。
僕が普段からもやもやと感じていたことや、色んな偉い人の話を聞いた内容を分かりやすく言語化してあるが、「嫌われる勇気」って感じでした。
この本から学んだことはいくつもあるけど、特に印象深く、ハッとさせられたことを2つだけ。
他者は敵でない。仲間だ。
これを聞いて「当たり前だろ」と思う人もいるかもしれませんが、僕は無意識のうちに他者のことを敵だととらえていたかもしれないなと気づかされました。(最近はあまりそう思うことはないですが)
僕は高校までサッカーをやっていて、サッカーが生活の中心でもありました。
試合に出れるのは11人。
勿論仲良く楽しくやってはいましたが、試合に出るためには隣にいる人に負けたくない、負けてはいけないという環境です。
自分が出てない試合でチームが好調だと悔しいし、素直に喜べませんでした。
こんな感じでサッカーを15年近くやっていたことが影響してか、気づけば他者との競争が自分の価値観になってしまっていました。
でも、他者と比較し競争しても全て1番になれるわけないし、そこで劣等感を感じても辛いだけだと思います。
比べるのは他人じゃなくて、理想の自分だけでいいんじゃないかなと思います。
最近「幸せだなあ」って感じることが多いのも、他人と比べて劣等感を感じることがなくなったからかもしれないです。
人生は山道じゃない
ハッとさせられたこと2はこれです。
もうちょっとちゃんと書くと、「人生は山道のように頂上を目指して頑張り続けるものではない」ということです。
自分は、「将来こうなりたい」とか「将来これやりたい」というものがあり、学生時代とか若いうちはそのために必要なものを身につける時間だと思っていました。
でも、そんな感じで過ごしてしまうと、頂上に行けなかったらすべてが無意味になってしまうし、もし他の山に登りたいって思っても多くの手間と時間がかかります。
嫌われる勇気の中では「踊るように生きろ」と書いてありますが、”今”自分がしたいこと、やりたいことをやっていればいいんじゃないかなと思わされました。
「今やりたいこと」を続けていくと自然といい人生になるんじゃないかなと思います。
以上、嫌われる勇気ぜひ読んでみてください。
また、本要約グループに入ってくれる方も絶賛募集中です。
下記のURLからぜひ!
嫌われる勇気はじめ色々な本の要約がありますよー。
かわいいおじいちゃん
このGWはゆっくりと帰省してまして、今日はおじいちゃんの家に行ってきました。
最近少しずつボケてきて、愛らしさが増すおじいちゃん。
ということで、おじいちゃんのかわいい言葉まとめ。
爺「最近習い事に行き始めたんだー!」
デイサービスに行き始めた時の一言。
僕「デイサービスでどんなことしてるの?」
爺「雑用やらされてる。やれって言われたことをやらないといけない」
婆「歌歌ったりしてるんでしょ?」
爺「うん、じいちゃん歌下手だと思ってたけど、上手いねって言われるの。持ち歌少なくて困っちゃうの」
お世辞とは知らない。贅沢な悩み。
僕「お寿司何が好き?」
爺「辛すぎるのじゃなかったら何でも大丈夫。他は違いが分からないよ」
婆「最近おじいちゃんが色んなもの無くすんよ」
爺「悪いおじいちゃんですー」
ロッチの謙遜ネタの口調で(分かる人はわかるはず。)
因みにこれ僕の大好きなネタです。
スマホを見て、
爺「これは何でもできるんだね。神さまみたい」
僕「僕の名前覚えてる?」
爺「........(ニコニコ)」
これは聞いちゃいけない質問だった。
以上、かわいいおじいちゃんです。長生きしてね。
求読書家 ”廃れない” 読書グループを作る
お元気ですか。。
今日は早速本題へ。
今回の記事は「求読書家」ということで、昨日作った読書グループの宣伝でもさせてもらえればなと思います。
まあ、それだけだと悲しいので、自分が本読むようになった理由とかも交えながら書ければなと。
面倒くさい人は最後だけでも読んでもらえれば。
僕の本との思い出を振り返ると、
同じ絵本ばかり親に読んでとせがんでた幼児時代。
本より漫画の方が好きだった小学生時代。
本よりサッカーに費やした中学時代。
国語の試験の小説で感動して泣きそうになり、小説にはまった受験時代。
自分の知識不足を痛感し、本にはまった今。
これらはほんとの思い出です。
つまらない冗談は置いといて、そんなこんなで本に少しはまっています。
義務感からはじまった読書習慣も、今では楽しいものになってます。
まあいわゆるにわかで読書家というほど量も読んでいませんが、少しずつ本を読むようになった僕が思う読書の1つの価値は、「成功者の話が聞ける」ことです。
時代を超えて、国を超えて。
やっぱり、何かを上手くいかせたいときの最短ルートは、上手く行ったひとの話を聞くことだとおもうんですよね。
勿論自分で試行錯誤することも大事だと思いますが、いくら考えても分からないものは分からないし。
成功者に会おうと思っても、現実的にその人に会える可能性は低いと思うんです。
そんな時に使える、その人の考えが詳しくきれいにまとめてあるもの、それが本だと思います。
時間がなくて本が読めないという人は多いと思いますが、そんな人ほど本を読むべきなんじゃないかなと思います。
そういえば、もう一つ僕が本を読もうと思う理由があって、
何より知識教養が深い人の話はおもしろい。
気づけばこれは昔からで、自分の父親もそうだったし、今の友達でもそうです。
中学校の理科の先生をやってる父に「雲って水蒸気じゃないんだよ」って言われたときに小学生の僕が受けた衝撃やワクワクは今でも覚えてますし、理系の友達の、僕の知らない「宇宙の仕組み」についての話はいくらでも聞ける気がしました。
トークが面白いお笑い芸人を見ても、賢いなーと感じることが多いです。
勿論、面白い人は必ず知識教養があるっていうのは違うし、逆もまた然りです。
でも、知識教養と面白さは関係があると思っています。
ついでに書くと、みなさん1度は見たことあがあるであろうこの写真。
野球観戦をしていても野球を良く知ってる人はあまり知らない人よりも楽しんで見ていることがほとんどです。
これは、勿論野球を好きな程度が違うということもありますが、野球への知識による違いもあると思います。
同じプレーを見ても、知識のある人は選手の駆け引きなども想像しながら楽しめるのに対し、知識がない人は、プレーにしか楽しめない。
例え悪いかもですが、ニュアンスで感じてください。
因みに僕は後者です。
人生も同じだと思うんです。
先ほどの写真のように、知識があれば、教養があれば、目の前の物事の表面だけでなく、深いところまで気づき楽しめる。
人生を楽しむにも教養って大事なのかもしれません。
ここまでが、僕の本を読む理由の話。
思っていたよりも長くなってしまったので、こっからささっと行きます。
本を読むのは自分ですべてのことを試行錯誤するのが非効率で面倒だと書きましたが、
そんな面倒くさがりな僕が作りたいと思ったのが、
「本の要約グループ」です。
本を読んで要約を書いて共有したら、効率的に本を読めるんじゃないかなと思います。
だから、各自が読んで本をシェアし、蓄積するグループを昨日から作ってちょっとずつ進めています。
本は、自分で一から読まないと意味ないんだぞって思った方、それなら一度要約だけ読んで良いと思った本だけしっかり読んでみてはいかがでしょう。
まあ、似たような読書グループは多くあると思いますし、僕の身の回りにも多くありました。
でも、そのほとんどが動かなくなってしまいました。
だから僕は、廃れない読書グループを作ることにしました。
高い確率で廃れてしまうこういったグループを廃れさせないようにすることができれば、色んな力がついているんじゃないかなという小さな期待もありながら。
現在、このグループでは、Slackを使って要約を蓄積してます。
以前講義を受けていた教授へメールでアドバイスをもらったところ、google drive でやることも、著作権を侵害する恐れがあるとのこと。
廃れないために少なくとも月2程度の本の要約は上げてもらうことになるとおもいますが、読書家の方、効率的に本を読みたい方、ぜひ一緒に共有しませんか?
個人的には忙しい人こそ入るべきなのかなぁとも思ってます。
興味のある方はブログのコメントか、僕に個人で連絡していただければ!お気軽にー。
新歓合宿を終えて
おつかれさまです。
最近新しく人に出会うことが多いこともあってか、「誰かに似てる」と良く言われます。
上の写真は自分が似てると言われた人たちなんですが、どうなんでしょうか。
自分ではあまり似てるとは思わないんですが。
自分のことを知ってる人は似てるかどうか見比べてみてください。
知らない人はこの写真たちから想像しながらブログを読んでいただければなあと思います。
さてさて、表題の件。
とその前に。
最近全然ブログ更新しないし、こいつ三日坊主かよって思ったあなたに少しだけ言い訳をさせてください。
実は本を読んでその要約や感想をブログにあげようと思って書いてたんですが、完成してから、
「これ著作権に引っかかるんじゃないか」
と思って調べたところやっぱり引っ掛かりそうだったので、投稿はやめときました。
でも、ひたすら自分が見返すようにワードで保存して溜めていこうと思ってます。
誰か一緒に本を読んで要約を交換する関係になってくれないかなあ。
言い訳終了。
さてさて、今度こそ本題へ。
今週末にアイセックの新歓合宿というものがありました。
2年生の僕にとってもとても良い経験になりましたし、いろいろと感じるものがありました。
そもそも新歓合宿とは、
アイセックに入りたいという子を集めて2日間の合宿形式で議論をし、アイセックの活動を疑似体験してもらおうというものです。
その話し合うテーマが「社会課題を持続的に解決するシステムを作れ」という、大学1年生のこの時期で考えるにはとてもじゃないけど難しいお題です。
僕は去年この合宿に参加してないのですが、もし参加してもなんもできなかっただろうなと容易に想像できるほど難しいテーマです。
そして、僕ら2年生は1年生のメンターという形で議論に参加しました。
メンターをやるのは初めてで、議論が停滞したり間違った方向へ進んだ時に修正するというものが課せられた役割でした。
またこれが難しく、大変でした。
でも、終わったときにはとてもうれしい気持ちになっていました。
なぜそうなったかは読んでいただければわかるはず。
僕たちのグループの1年生は3人で、
最初の様子としては、
頭が良くて一人でガンガン進められて自分の意見をしっかりと持っている、でも他のメンバーのことはあまり気にかけずきつい言葉を言ってしまう男の子。
田舎出身で僕たちのグループのテーマである地方衰退に強い思い入れがあって優しい、けど周りに気を遣いすぎて流されてしまう女の子。
同じく田舎出身で地方衰退への思いが強く、自分の意見をしっかり持っていれば自分の意見を伝えることができる、けど考えるのに少し時間が必要な男の子。
の3人でした。
あえて得手も不得手もかいたけど、
まあ誰にだって苦手なことはあるしね。
自分だって大学入りたての時は論理的に考えることとか上手く文言化することとかできなかったし。
多分僕のことを良く知る人は「今も出来てねえじゃん」と突っ込んでることでしょう。
この3人で、考えることが得意な男の子がリーダーで、議論を進めることになりました。
まあ察しが良い人なら気づくかもしれませんが、自分たちのチームは上手く進みませんでした。
というのも、
リーダーの彼がひとりでどんどん話を進めて、あとの2人はうなづく状態。
リーダーの彼は思ったことをストレートに口から出すから、間違った意見を言うときつい口調で言い返される。
じっくり考える時間もない。
黙っていると意見を出せと言われる。
2人にとってはつらい状況だなあと思いとても申し訳なくなりました。
いや、3人ともつらい状況だったのかもしれないですね。
こういう状況を改善すべきがメンターであり、自分も2人に話を振ってみたり、リーダーを交代してみたりと色々やってみたけれど、一時的に上手くいってもあんまり根本的な解決にはなりませんでした。
どうにかしないとなーとずっと考えていたけど、何にもできずにいました。
でもなぜか、お風呂の後くらいから、雰囲気が良くなったんです。
特にリーダーの男の子が周りの子に気を遣いながら進めていて、2人も発言できるようになっていました。
「何があったんだろ」ってとても驚いたんですけど、その後は順調に進みました。
読んでる人は???って感じだと思うんですけど僕も???って感じなんです。
気になって後でリーダーの子に「なんでそんなにマイルドになったの?」聞いてみたら、
「最初より慣れてきたから。」って言っていました。
また、最初はあまり自分の意見を言うことができなかった人が最後の手紙で
(あ、最後にそれぞれに手紙を渡す機会があるんです)
「自分がつらい時ににフォローしてくれてありがとうございました。もしあれがなかったら夕食の時に逃げ出していたかもしれません。」
とも書いてありました。
やっぱり最初の雰囲気は悪くて、つらかったんだなあと思うと同時に、
メンターとしてどうすればいいか分からなかったし、何も分からなかったけど、とりあえず積極的に声をかけることは続けてよかったなと思いました。
必然か偶然かは分からないけど、声をかけて仲良くなったことが、グループの雰囲気が良くなったのかもしれないなと思いました。
そういうことにしときましょう。
メンターとして何もできないなという無力感と、でも、最後はいい感じの雰囲気になったしちょっとはなにかできたんじゃないかなとほんの少しの自信を得ることができました。
そして、なにより、
1年生の成長をそばで感じれてとても有意義な時間になりました。
最初は、
「もう飽きたし帰りたい」「2日間では人は変われるわけない」と言ってた子が、
最後には、
時間を有効に使うという最初の目標について「満足度500パ―」と言って帰っていったのをみると、とても嬉しかったです。
合宿で1年生にとってきついこともあったかもしれないけど、キツイときは成長してるときだと思うので、自信を失わずに頑張ってもらいたいなと思いました。
彼ら彼女らのさらなる成長が楽しみです。
今だから思う高校時代のこと
こんばんは!
って書こうとしたら読む人はいつ読むかわかんないですね。
おはようございますこんにちはこんばんは。
この前のブログについてメッセージを送ってくれた方、ありがとうございました!
やっぱり嬉しいですね。
別に他の時間を削ってまでブログを頑張ろうとは思っておらず、ただ書きたい時に書ければいいなと思っていますので不定期での投稿になると思いますが、読んでいただけると嬉しいです。
前書きはこのくらいにして、今日は自分の高校時代のことについて書きたいなぁと思います。
サッカー部を辞めた時のことについて。
実は今でもやめるべきだったのかなぁと考えることがあります。
僕の高校は進学校といわれるところで、かといって部活を疎かにすることもなく、サッカー部も県でベスト8とか4とかに残る(田舎なのでチーム数がそこまで多くないということもありあますが)、文武両道を掲げた高校でした。
この高校のサッカー部では、夏のインターハイ予選でやめるか、秋の選手権予選までやめるか、引退時期を自分たちで選べました。
僕の1つ上と2つ上の先輩は殆どが秋まで続けていました。
ですが、秋まで続けると受験勉強に当てる時間が減ることはどうしようもないことでした。
自分たちの代でもインターハイが終わった後に、残るかやめるかについて考える時間が与えられました。
チームメイトの中には、「みんなで続けよう」
と言ってる人もいたし、悩んでる人もいました。
自分もとても悩みました。
僕はあまり悩まない性格で、直感で決めちゃうこともよくあるんですが、こればかりは考えないわけには行かず、かなり考えました。
そして結局、夏でやめようと決めました。
理由はいくつかあります。
自分が行きたい大学に行くにはもっと勉強しないといけないなと思ったこと。
小学生になる前からずっとサッカーばっかやってきたからちょっと飽きてたこと。
最後の試合は負けたけど良い試合ができたからちょっと満足してしまっていたこと。
その中でも1番大きかったのが、上にあげたのに比べるとちょっとネガティブな理由になりますが、サッカー部の雰囲気があんまりよくなかったこと。
もちろんみんなと遊んだり騒いだりする時はすごく楽しかったけど、サッカーになるとちょっと違って、一生懸命に頑張る人もいたけど、「どうせ試合に出れないなら」と言ってあまり真剣にやらなかったり、練習試合の最中に遊んでたりする人もいました。
他人のことばっか描いてますが、かくいう自分も試合では頑張るけれども、練習では手を抜いたりするようになってしまいました。
ここでサッカーを続けるより勉強頑張る方が楽だし、将来のためになるんじゃないかなと思ってやめることにしました。
辞めた後は親とかサッカー部の友達とかに迷惑かけた分頑張らなきゃなと思って勉強頑張って、無事行きたかった大学に行けました。大学入った後も、サッカーを犠牲にして入った大学だから無駄な時間にはしたくないなって気持ちで色んなことをやってます。(これからもやろうと思ってます)
うだうだ言ってるけど、辞めたことを後悔したことはありません。
結局行きたい大学入れたし、あれがなかったら今の自分がなかっただろうし。
そもそも「あの時続けてたら...」なんて考えてもキリがないし。
でも、もっと前、続けていた時、自分がもっとリーダーシップを発揮して、みんなを巻き込んでいたらどうなってたかなぁと思ったりはします。
そしたら、自分以外にも多くの人にとってプラスになっていたんじゃないかなー。
他人から影響を受けてばかりではなく、もっと人に影響を与えられる人になりたいなと思います。
このブログを始めた理由の一つにそんなこともあります。
そして
今入ってる団体でも同じような雰囲気があるかもしれないなあと思ってます。
僕はあの時と同じことを繰り返さずに済むのかなあ。
環境から逃げるんじゃなくて、変えることができるのかなあ。
ただのぼやきになってしまいました!終わります!読んでくださってありがとうございました!!
ブログ始めます。
突然ですがブログをはじめます。
ブログ名を見ていただいたら分かるように、このブログを見てもらえれば「This is me」「自分はこういう人間だ」ってわかるようなブログにしたいと考えています。
慣れないうちは文章もぐちゃぐちゃで読みづらいかもしれませんが、読んでもらえれば嬉しいなあと思います。
今回は記念すべき初記事ということで、なぜブログを書くのかについて書ければなと思います。
これからブログを見てくれる方のためにも、自分が迷走しないためにも。
僕はもともとTwitterやFacebookの投稿などのようないわゆる“発信”っていわれるものが好きじゃなかったし、「わざわざ公の場で発信する意味ないじゃん。日記でいいじゃん。」って思ってました。恥ずかしさもあるし。
でも、そんな僕が最近になってもっと他人のことを知りたいし、自分のことも知ってもらいたいなあと思うようになりました。
「知ってもらうことって大事だな」ということを日々様々な場面で感じますが、例えば先日こんな出来事がありました。
自分が入っているアイセックという団体の活動で、社会人の方とすごい先輩と僕で議論をするということがありました。
ですが、考える力が弱い僕はその二人の話について行くことがやっとで、ほとんど意見を言うことができませんでした。
その時に、先輩からは、「〇〇もっと頑張ってよ」とあきれて言われました。自分なりには精一杯頑張ったつもりでしたが、「自分の力不足を努力不足だとみなされるのかぁ」と思い、すごく悔しかったし、その先輩は僕のことを分かってくれてないなと思ったりもしました。
この時は悪いのは先輩で自分は悪くないと思っていましたが、冷静になって考えてみると、自分のことを知ってもらってないせいだと思いました。
自分が発信もしてないのに他人が理解してくれないと言うのも違う気がしますし。
この例えだけだと、自分を知ってもらうことで叱咤されないようにすることがブログを書く目的のように捉えられてしまうかもしれませんがそういうことではなく、祖語なく裏表ない自分を知ってもらったうえで叱咤激励でもなんでもしてもらえたら理想だなぁと思ってます。
でも 他人は自分を100%理解することは出来ないし、逆もまた然り だとは思っていて、自分は他人が陰ながら頑張ってるときや辛い時に気づける人でありたいなと思っています。
少し脱線しましたが、今回はこんなところで。
この他にも、文言化上手くなりたいとか、日記みたいに後から自分で見返したいとか、色んなひとからコメント欲しいとか、人に影響を与えられる人になりたいとか、タイピング早くなりたいとか、色々理由はありますが。
書き方的に自分のことを知っている人向けのブログみたいになってしまいましたが、全然そういう風には思っていませんので、むしろ自分のこと知らない方ほど気軽にコメントいただけると嬉しいです。
読んでくださってありがとうございました!